カテゴリー「八重山への道」の記事

2005/06/17

石垣島は川平で小さな宿(ペンション)をはじめます

何度かご報告していた、宿のオープンのめどがやっとつきました。

場所は石垣島の川平。
コテージ形式の小さなペンションで部屋は3室のみです。

海好き、自然好き、南国好きの方々が、のんびり・ゆったり過ごせる宿になれればなぁ...と思っています。

名前は、「コテージ・ぷかぴ~」!
深いリーフ、外のリーフという意味をもじった言葉で、著名なダイビングポイントの米原ダブルリーフを暗に指してもいます。

皆様の旅の宿の選択肢の一つして検討いただければと思います。

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2005/06/12

あぁ、罪深き私

またまた、ブログの更新が空いてしまった。
相変わらず、荷を解き、家具を運び、壁に穴を開け、壁に色を塗る毎日を送っている。
進んでいるのかいないのかわからないほどの微々たる速度で、少しづつ、宿の準備を進めている。

我が家の倉庫には、今、段ボール箱と発泡スチロールとビニールのクッション材が山積みになっている。軽く軽トラ2台分はあるのではないだろうか?

正直言って、引越し業者と通販会社には、僕は文句を言いたいのだけど、どう考えても過剰梱包です!
どうでもいいボロボロのスチールの机が、柔らかなクッション材で丁寧にくるまれ、さらにダンボールできっちり梱包されていたり、通販で買った椅子が、厚さ10cm以上の発泡スチロールでガッチリ保護されていたり、異常です!!
これだけ丁寧に梱包されていれば、卵や豆腐も壊れないとは思うけど、果たして、そこまで必要なんでしょうか?

こうした過剰梱包のおかげで、僕の一日の大半が、ダンボールを潰し、発泡スチロールを細かくし、クッション材を切り刻むことに費やされている。少なくとも、荷物を出して整理する時間の倍以上を、これら梱包材の処理に費やしているだろう。
しかも、いっぺんに捨てるわけにいかないので、これらを処分するのに少なくとも半年はかかるのはないだろうか?

発展途上国の人々が一生の間に発生するゴミの量をはるかに超える量を、この2週間ほどで出してしまい、あまりの罪深さに「環境さんごめんなさい」と深く深く頭を垂れるtakeなのであった........。

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2005/05/30

ひぃ~! 引越しは大変ッス

海が見えます

 随分とブログの更新をお休みしてしまいました。
 実は(別に実はと言葉をふる必要もないのであるが...)海遊びも全くしてません。
 何をしていたかといいますと、
 そ・れ・は.....、  「お引越し」です!

 昨年の秋から建築していた私の宿兼住居が、やっと出来上がったのです!

 で、仮住まいしていた石垣島のアパートからの引越しと、完全には引き払わずに残していた東京の住居の引越し、それに宿のオープンに向けた、様々な什器備品の購入と設置、これらに忙殺されているのです。

 島内の荷物は、私と妻、それに若い知人の3人で、軽トラに荷物を積んでのお引越し、東京の荷物は、コンテナーで「どどー」っと運び込み、什器備品は通販が絶え間なく持ってきます。
 普段、水中ハウジングより重いものを持たない私は、足は捻挫するは、肩があがらなくなるは、メガネは踏んづけて壊すはで、すでにボロボロ。
 子供の頃から、数年に1回は引っ越すような人生を送ってきたので、引越しには慣れていたつもりなんだけど、やっぱ大変っす...。

 それに新たに棚をつけたり、ロールスクリーンやブラインドをつけたりもしているんだけど、家がコンクリートなものだから、これがまた一苦労。
 振動ドリルで、ガッ・ガッ・ガッ・ガッ・ガッ・と、穴を空けまくっておりまする。

 あ~海に行きたいな...。でなくて、その前にとにかく宿をオープンさせねば!(必死)

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2005/04/07

シーサーがついたよ!!

シーサーです
 建築中の宿が少しづつ姿を現し始めました。
 シーサーのお目見えです。
 施工会社の方が気を利かせて素敵な石の台座を用意してくれたおかげで、随分と雰囲気のあるシーサーとなりました(ム、ム? 自己満足??)

 写真の建物はサービス棟で、ツインルーム1つとお客様にお食事を提供するレストランとなる予定です。
 この建物の下に、コテージ棟があり、ゆったりしたお部屋を二部屋用意する予定です。

 暖めてきた構想が、少しづつ形になり、毎日ドキドキしています。

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2004/12/22

少し進みました

コテージ

 今日は冬至。日の出が7時22分だから、朝が起きれなくて、起きれなくて....。どう考えても石垣島は東京と時差があるような...。
 でも、12月も終わりというのに、こんな青い空と海に恵まれて、ホント、ここ島は恵みの地だなぁと感じます。

 建設中の宿も、少しづつ進んでいます。

 写真は食堂とテラスになる予定の場所なんだけど、いやになるほど小さいなぁ! 
 あっ、コンセプトの一つ小さい宿だから当たり前かぁ!!

 いったい仕上がるとどれくらい小さいのかこの後の展開が楽しみです。

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2004/11/15

お気に入りの宿を創ろう!!

宿の建設予定地です

 石垣島ではこの一週間ほど、とてもよい天気が続いている。
 風が納まり、日差しがちょっと眩しい穏やかな日々だ。

 そんな日々のある日、地鎮祭を行った。
 私がこれから建てる建築物がやっと施工段階まで至ったのだ。
 思ったより時間とお金がかかったなぁ。。

 建築物とは「小さい宿」。
 あちこち遊びにいきながら、僕が「こんな宿があったらいいな」なんて思っていたものを、少しでも実現したいとの想いから始める宿だ。
 客室はたった3部屋
 風を感じながらノンビリすごせるコテージとなる予定だ。

 時間がゆっくり流れる島のこと、いつオープンできるかわからないけれど、少しづつ具体化していくつもりです。

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2004/08/13

僕が石垣島を選んだ理由

 一口に南の島に住んでみたいと言っても、人により思い浮かべるイメージはさまざまだろうし、実際に住んでもいいなと思う条件もまちまちだろう。手付かずの自然に囲まれて自給自足したい人、十分な広さの畑を持ち静かに農業を営みたい人、近代的な設備で都会にいるのと同様に暮らしたい人。
 ダイビングを始めて、沖縄の島々を巡ったり、ミクロネシアの島々に遊びに行ったりしながら、僕も、自分が生活可能な島そこでのライフスタイルをあれやこれやと考えていた。
 僕は南の島にわざわざ住んでいったい何をしたいんだろう? 得られる快楽の代償をどこまで我慢できるんだろう?

 あまたある候補から、まず、海外は考えられなかった。バリ、セブ、サイパンなど、暖かく海がきれいな地域はたくさんある。物価も信じられないほど安いことがなんといっても魅力だし。この価格差を活用して充実した南国ライフを送る日本人も多いらしいし。
 でもね、僕は英語がとても苦手なのです。というか日本語をしゃべるにも難があってコミュニケーションのへたくそな僕が、海外で言葉と身振りを駆使してコミュニケーションするというのはとても考えられないのである。

 で、国内である。
 まず必要だと考えたのがある程度の利便性である。交通、病院、商店。生まれてこの方、世田谷、水戸、札幌、筑波、横須賀等の都市にしか住んだことのない僕にとってある程度の都市基盤がないというのはちょっとつらいのであった。妻もそれほど丈夫ではないので近くに病院がないところも躊躇されたし。それに南国ライフを求めてはいるけれど、自給自足とか原生的な自然環境とか、そういうワイルドなものを嗜好しているわけでもないし。
 そうなると奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島といったあたりが選択肢になってくる。
 沖縄本島は、南部は都会過ぎる。かといって北部はちょっとワイルドすぎるかなぁ、と感じられた。
 奄美大島は、いいダイビングショップにめぐり合うことができず、海のよさを堪能することができず、通うきっかけを得られなかった。
 宮古島は、海は実に素晴らしいのだが、まっ平らな山のない島であり、森のようなボリュームのある緑が少ないことが僕の嗜好にあわなかった。
 その点、石垣島は、僕にとってはいろんなことがちょうどよかった。
 人口5万人近くが住み県立総合病院もある都市である一方で、車を10分も走らせれば自然の風景が広がる。美しい樹林に覆われた山のある風景は、海とはまた異なる魅力がある。水が豊富で、温暖な気候とも相俟って、年に3回もお米がとれる(そう、石垣米がちゃんと売っているのです。新鮮だからおいしいよ!!)。日本の南の交通の要所であり、竹富、黒島、西表島にはかかっても1時間、与那国や宮古も近い。台湾だってすぐである。もちろん海の懐は深いし。
 とまあ、自然性と利便性の調和のとれかたがちょうどよく思え、「いつか移住するならこの島」と思うようになったのだった。

 そんな風に狙いを定めてからは、少しづつ情報を集めはじめていたんだけど、とても役にたったのがインターネットの存在だった。もし、僕があと20歳年上で、あと10年早く石垣島移住を検討したとしたら、あまりの情報の少なさに挫折したに違いない。
 僕が検討を始めた数年前は、本島から移住した先輩方がちょぼちょぼとインターネット上に情報を提供し始めた時期だった。まずは、石垣島に移住し観光業を営む方のサイト。「あぁ、こんな風に実際に移住に成功した人がいるんだなぁ」と、ずいぶんと刺激された。そして南国応援隊。生活に根付いたとても具体的な情報は、可能性を検討する上でとても参考になった。ほかにもダイビングショップやエコツーリズムを始めた方のサイト、自費出版をする方のサイト等々、いろいろと刺激を得ることができた。これら情報発信してくれた移住の諸先輩方にはほんと感謝しているのである。
 こうしたネットの情報と、自分が毎年何度か通っては得た体験とを重ね合わせ、イメージを固めていく生活を何年も送り、「いつかは移住」の想いを心に秘めて日々を送っていたのであった。

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2004/08/10

石垣島移住計画は一年前に始まりました

 石垣島に越してきて一ヶ月が過ぎた。

 部屋を片付けたり、海にいったりと、島の生活に慣れ、楽しむのに夢中で、あっというまだったのだけど、「この一年もまたあっというまだったなぁ」と、夜、島酒(泡盛のことです)をのみながらシミジミ思ったりするのである。

 石垣島への移住を決意したのが、ちょうど一年ほど前のことだ。
 会社勤めから帰ってきた妻の一言「今度、うちの会社で早期退職をつのるみたい」。そこから我々は生活設計の舵を大きくきったのだった。

 「いつかは南の島で暮らしたい」
 リゾートダイバーの方々でそのように思う人は多いだろう。我々夫婦も同様で、「どうしたら実現できるだろうねぇ」なんて語りながら酒を飲んだりする日々を送っていたのである。
 僕自身としては、「実現できるのはだいぶ先のことだろうな」と思っていた。個人(フリー)で仕事をしていたのだけれど、食べれる程度は稼げていたし、妻も勤め先で頑張っていた。何より自己資金が不足しすぎていて、新たな一歩を踏み出すにはとても心もとない状態だった。
 ただ、移住するなら石垣島、向こうで生活するなら○○業(これについてはまた別途ご報告を)というところまでは、数年の間のいろいろなシミュレーション、妄想、そして子供のころからの夢で決めていて、ちょぼちょぼ資料を集めたり、ざっと費用を計算したりはしていたのであった。僕はなかなか叶いそうもない夢を抱えながら、それを癒しに石垣島にしつこく通っていたのである。

 そこに、妻の早期退職制度である。幸いにもなかなか恵まれた条件である。これを原資にすればなんとかなるかもしれない。
 「いっちょ、やったるかぁ!!」
 思っていた時期よりもちょっと早いような気もするけれど、ものごとは出会い、そしてタイミング。この機会を逃せば、今度、いつやってくるかもわからない。それに、体力・気力の低下を感じる今日この頃。新しいことをやるなら、できるだけ身体も心も若いうちがいいに決まっている。もう少したつと両親の介護の問題なども生じてきてそれこそ身動きがとれなくなる可能性もある。自分がリタイアメントの年齢になってから動くのが一番安全なことはわかるけれど、とてもそこまで待てないし。。。
 私は理屈っぽい人間なので、まあ、いろいろ屁理屈をつけての心の整理を行った。
 こうして我々の石垣島移住計画は、思いもかけない妻の早期退職制度をきっかけに実行段階に移ったのであった。

 まず、最初にやったことは経費の算出と資金計画である。
 ついで、スケジュールの設定である。石垣島に移住する時期は? そのための準備期間はどれくらい? いつから現地に通う? 等々。一方で、東京での生活をどのような順番でクローズするかも重要である。僕のいままでの商売も、いきなり畳むわけにはいかない。それなりの手順を踏む必要がある。そんなことをスケジューリングしたのであった。

 と、話を進めていく、障害も生じてくる。

 まず、最初に立ちはだかったのが、なんと、本計画の大前提である早期退職制度であった。
 希望者が殺到し、希望者全員を退職させるわけにはいかないというのである。最初に対象年齢が引き上げられた。妻は幸いにもクリアーした。ついで、上司の面接があるという。最後は上司の判断をもとに人事が決めるらしい。
 「まじぃ!!」。
 冗談ではない、すでに心は南の島なのである。人生の大転換ともいえる決心をしてしまったのである。おまけに僕は自分の商売をたたむための布石を打ち始めていたのである。いまさら元に戻るわけにもいかないのである。

 妻の退職が決まるまでの一ヶ月、我々はヒリヒリするような日々を送った。今となってはいい思い出であるが、当時はとても笑えるような心境ではないのであった。

 そして、心を砕いたのが、親類縁者の理解を得ることであった。
 実をいうと、我々は、「石垣島に骨を埋めて」というような重~い決意はないのである。人生に失敗はつきもの。うまくいかなかったら、また、東京に戻ってやり直せばいいさぁ、というような、とてもとても軽く、そして、いい加減な気持ちで今回の舵をきったのである。
 戻ってくるためには周りの理解がいる。
 親兄弟、親類縁者を敵に回して、あるいは、断絶して移住するなんてことは毛頭考えられないのである。
 これは、なかなかに大変であった。
 「あんた、気でも狂ったのか???」
 こんな反応もごもっともである。私も我ながらそう思う。
 南の島が好きならば、東京でがっぽり稼いで遊びに行けばよいではないか? 生活も軌道にのり、仕事も油が乗ってきた40代。それをなげうってまでやるとは何なのか? 年金制度だって破綻しかねない昨今、そんなリスクをとってあんた老後をどうするのか?

 申し訳ございません。昔はやったテレビドラマではないが、深々と頭を下げ、時間をかけて、自分たちの想いを何度も何度も語るしかないのであった。

 そんなこんなで、決心してからの半年が粛々と進んだのであった。

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2004/07/13

八重山生活はじめました

 いい年して、自分でも本当に恥ずかしいんだけど、南の島好きが高じて、ついにこの7月に石垣島に生活の拠点をおくことになりました。
 とはいえ、来年の春までは東京との二重生活のため、いろいろと物入りになりそうで、「ワーイ、ハッピー!!」なんていうよりは、「ヤレヤレ」といった気分のほうが強いのですが。。。
 日々の生活を通じた南の生活の様子や、移住に至る経緯など、少しづつお話していこうと思います。

 ここのところの東京は石垣島より暑いようでなんですが、石垣島もやっぱり暑いです。
 ここ1週間ほど引越しの整理に追われ、水につかりたい今日この頃です。
 

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